安手な日本の象徴としての富士山


消費社会の新しい思考形式

本格的なドロッパーたちの思考形式は編集者のものであった。今、あるモノを、それが思考であれモノであれ、読み換えていく。読み換え、組み換えることで新しい価値を創造する。
それは古典的な創造者の方法ではなく、消費社会の新しい思考形式でもあったのだ。本格的な消費社会の到来を地球的な規模の編集力で表したのが、彼らのホールアースカタログ(全地球カタログ)であったことは、象徴的な出来事であった。

ドロップシティは一九六〇年代の消費社会の到来を告げる聖堂であった。それを今ではよく知ることができる。時代は認識の水準においても、グラリと回転した。ドロップシティには形があった。
工業化社会の混乱が自動的に記述されていたにすぎぬが、それでも、まだ混乱の形があった。それが表現されていた。窓もあった。トライアングルが連続してしまうような窓ではあったが、窓はあった。
彼らはその窓からアリゾナの砂漠を眺めていた。ドロップシティが砂漠に建てられたのも、今にして思えば象徴的だった。

砂漠

工業化社会のゴミの山は都市に捨てられれば、ただのゴミにしかすぎなかったが、生活のない砂漠というステージに捨てられ、ほんのわずかな機械的身振りさえ経れば、過激な芸術になった。

ドロップシティはクリストの叙事詩を生み出す前哨戦の役割を担ったのだ。アレは、今、環境芸術と呼ばれるモノのほとんどの作品の前に厳然とした歴史的先行物として残る。アメリカのピューリズムの母体でもあるヘンリー・デーピッドーソローのウォールデンの森に逃亡したドロッパーたちは、その木造のフラードームの、三角の窓から森を眺めた。

青い空を見上げた。わたしにもささやかではあるが木造ドーム建設の体験があって、三角のフレーム越しに眺める森や空が、どんなに美しく、生き生きとして眺められ得るのかを知っている。
フラーの抽象的な数学的概念を介して眺める自然は、別の自然として眼に映ることがある。砂漠に逃げた者たちは三角の窓から絶対の荒野を眺めなければならなかった。

森

〇〇真理教聖堂群の窓から一九九〇年代のドロッパーたちは何を眺めていたか。超高度経済成長の動きに揺り動かされ、浮遊しながら彼らは何を為し遂げたか。
フラーも不在で、編集者の眼差しもなくし、彼らはコンピュータのスクリーンとキーボードを介して何を為したのか。〇〇真理教信者たち、一九九〇年代の日本のドロッパーたちは実に、聖堂のアルミサッシュの窓から富士山を眺めていたのだ。
安手な日本の象徴としての富士山を。コレハ、オカシイ。まことに。彼らは日本国を眺めていた。一九三〇年代の天皇制主義者たちと同じに、彼らは富士山を眺めていた。


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